ピアノ調律・修理専門 ピアノ調律師 更家雅之によるピアノ総合メンテナンスサービス 

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MUSIC - 音楽とは? 

音を楽しむだけではない、人間の創りだした心の世界

 

音楽とは何か?

ここではその多様な意味を持ち、人を惹きつけて止まない”音楽”についての話題を取り上げたいと思います。

 

音楽”、その字のとおり、音を楽しむと書きますがその楽しみかたも、聴いて楽しむ、弾いて楽しむ、踊って楽しむなど人それぞれです。私も中学生の時に音楽に目覚め現在でもその魅力にどっぷりとつかっている状態です。

喜びを表現したり、悲しい気持ちをなぐさめてくれたりと音楽と共に人生を歩んできました。

最近では趣味や学校や教育の現場での使われ方以外にも、医療の場でも使われたりとその役割も広がっています。

その我々人間に多大な影響を及ぼす音楽の力とはなにか?

 

それを知るためにまずはそのジャンルを分類してみます。

各々のジャンルを知ることにより、音楽の聴き方が変わってきます。

音楽は今や多様に変化し様々な様式、形体に分類分けされます。その中にはあまり耳にしないような音楽ジャンルにも良いものは多数あります。 食わず嫌いをせずいろいろ聴いてみると新たな発見があるかもしれないです。

 


音楽ジャンル  (※例えばポップスの欄にあれば、その要素を持っている、またはなにかしらの影響をうけて派生した事を意味します。)

リンク先 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

ポップス 

アイドル歌謡  アニメソング  歌謡曲  エレクトロニックポップ  ギターポップ  K-POP  J-POP  シティポップス  和声ポップス

 


ロック 

アダルトオリエンテッドロック ガレージロック グラムロック サザンロック J-ROCK ハードロック パブロック  へビィロック UKロック  インダストリアル エモ−ショナル・ハードコア  ネオアコースティック  グラインドコア  グラムロック  グランジ  ゴシックメタル  ジャーマンメタル  シンフォニックメタル  スラッシュメタル  デスメタル  ハードコアパンク  パブロック  パンク  ファストコア  フォークロック  ブラックメタル  ブリットポップ  プログレッシブ・ロック  へヴィメタル  北欧メタル  メタル  メロディックデスメタル  メロディックスピードメタル  ユーロロック(プログレッシブ・ロック)  リバプールサウンド  ロックンロール

 


クラシック    

オペラ  オラトリオ  コラール  ポリフォニ

民族音楽   

アイリッシュミュージック アラブミュージック 演歌 雅楽 ガムラン カントリーアンドウェスタン 黒人音楽  サルサ  サンバ(アルゼンチン) (ブラジル) タンゴ  童謡  フォーク  マンボ 民謡  ラテン  レゲエ 黒人霊歌(スピリチュアル)  ゴスペル  シャンソン  ダブ  フォーク  ブルーグラス  MPB  ガムラン  グアラニア  クレズマー  ドドンパ  ブーガルー  ホーミー  ボサノバ

 


ブラックミュージック

アールアンドビー(R&B) ソウル  アフリカンミュージック アフロビート ゴスペル  ブルース  ラップ/ ヒップホップ  ファンク  モータウン  ラグタイム

 


イージーリスニング

ヒーリング  インスト  CMソング

 


クラブ

クラブミュージック  ディスコ  テクノ  トランス ユーロビート エレクトロニカ  サイケデリックトランス 2ステップ  ゴアトランス  ハウス  ハッピーハードコア  

 


軍歌

行進曲  吹奏楽

 


電子音楽 

コンピュータミュージック ゲームミュージック  チップチューン  テクノポップ  ミニマルミュージック ミュージックコンクレート

 


現代音楽

現代邦楽

 


宗教音楽

賛美歌

 


□ジャンルが多岐に渡るもの(またはノンジャンル)

ア・カペラ   アンビエント インディーズ 映画音楽  グループサウンズ  コミックソング  CM( コマーシャル)ソング)  ジャングル  唱歌  ドラムンベース  ニューウェーブ   バラード ノイズミュージック   フュージョン  邦楽  ワールドミュージック   ニューミュージック

 

様々な種類の音楽が世界にはありますが、それぞれの音楽には特徴があり、それをつかめば聴きやすくなります。

それぞれに関係があったり、派生元が似ているものもあり歴史を知るとおもしろいです。

 

また音楽のジャンルによっては、聴く人の心を癒したり元気付けたりするものもあります。

そのような音楽を用いて人の心を治療すると言う医学が確立されてきました。

 

現代では高度に様々なものが複雑に発達した社会の為、”ストレス社会”と言われていますが、そのために人の精神・身体に異常をきたすケースが多く見られます。

精神的な異常が絡むケース中には、原因不明な症状もまだ、原因がわかっても薬などでは完全に解決できない事例も多く、そのような症状を緩和すべく音楽の力を用いられる事が見られるようになってきました。 

それが音楽療法と呼ばれるものです。

 

●音楽療法

音楽のもつ生理的、心理的、社会的働きを用いて、心身の障害の回復、機能の維持改善、生活の向上、行動の変容などに向けて、音楽を意図的、計画的にしようすること <日本音楽療法学会による定義>

人間の心は現代科学では理解できない、解明されていない部分も多く実験や検証を重ねながらその有用性が使われています。

そして最近では脳の老化予防にもピアノが効果的であると言われています。

人間の脳の神経は手指を複雑に使う事により活性化されると言う事です。右脳が左手、左脳が右手と連動していてピアノの両手演奏は脳をバランスよく発達ささせる事ができます。同時に音楽を奏でることにより自身の脳にも音を通しても働きかけ活性化を助けていると思われます。

 

脳に働きかける音楽とは、どのようなしくみで影響を与えているのでしょうか?

 

●α(アルファ)波       人間がリラックスできる脳の波形

アルファ波という言葉を聞かれたことあると思います。 

人間の脳が安静(リラックス)・閉眼時の脳波においては、脳のなかに発生している他の周波数成分に比べてアルファ波の占める割合が高くなります。

人間の脳が発生する電気的振動(脳波)のうち1〜3Hzをデルタ(δ)波、4〜7Hzをシータ(θ)波、14〜30Hzをベータ(β)波、30Hz以上をガンマ(γ)波、そして8〜13Hz成分のことをアルファ波(α波)と呼ばれています。

このアルファ波を発生させることができる音楽を聴くと人はリラックスし心地よくなります。

しかしながら、アルファ波を発生させると言う音楽には一定の根拠などはなく、音楽のジャンルによる好みなども様々なため人間それぞれの脳に合う音楽が必要だと思われます。

潜在的に人間の脳が持つ、振動、リズムに適合する音、音楽であればリラックスする状態を作り出すことは可能であると言え、前述にある音楽の好みは後天的な要素を多分に含んでいて、そのふたつをうまくコントロールすることによりアルファ波の発生は可能だと定義します。

このことは純粋に音としてみた時も例外ではなく、ピアノの場合各個人の音の好みと合わせ振動数をコントロールすることによりアルファ波要素を含んだ音をつくり出すことができます。

振動、波動がすべての要素をつかさどるものから産まれ、人間たらしめている始まりでもあるので、その人間が捉える振動が身体、精神に与える影響は計り知れないものであると言えます。

 

●趣味としてのピアノ

趣味として弾くピアノは自分の世界。

なにがあろうとも誰も壊すことも邪魔することもできない世界。  それが趣味のピアノ。 心の解放を通じて得られる精神的な満足感は何ものにも得難いものがあるでしょう。

仕事で弾くものと異なり趣味としてピアノを弾くものはその心が何かを求めているからとも言えると思います。


そして自発的に弾くのだからこそ求めるものがあるのです。


音楽を通して人は何を求めているのでしょうか?そのことを考えてみたいと思います。

 

●脳と音楽・音、人間との関係

 

人間が聞いている音はこの世のなかに存在する全ての音でしょうか?

犬や猫などの動物は人間よりも高音域の音を聴くことができると言います。

人間が聴けない音を聴いているのです。

 

調律師は一般の人が聞かない音を訓練によって聞こえるようにします。特別な能力がもともと備わっているわけではありません。 個人差はあれ訓練によって聴力を飛躍的に伸ばしている状態です。

例えば同じような例としてピアニストの指の動き、倍音をとらえる能力は訓練されていない並みの人間では不可能なことです。

同様に一流アスリートは体のある部分を鍛え一般の人を越えた動きをします。

また学問や学習の分野では暗記の訓練をした人はたくさんの事を覚えられます。

人それぞれ得意とする能力は違えど訓練しだいでその能力を飛躍的に伸ばすことができるのです。これは人間には無限の可能性があり、見えてないもの、聴こえてないもの、感じてないもの、が実はあるということの証明に他なりません。

 

人間が見ている世界は”真実の世界”ではありません。

人間が見ている世界と犬や猫が見ている世界は異なります。人間にとって当り前のものが他の生物などにとっては当り前のことではありません。

それはそれぞれ認識しているものが違うからです。

 

人間を初めとした生物は脳に情報をインプットし、処理をしアウトプットした結果として見たり聞いたり感じたりします。

生物により脳が異なるため認識するものが変わってきます。

爬虫類の目からは色のない世界が見えたり、人間の見えないものが見えているかもしれません。それは目や耳だけでなく人間の感じる感覚、5感全てに当てはまることです。視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚等に当てはまります。

 

人間には認識できないものもこの世界にはたくさんあります。

例えば超常現象、霊などは人間の一般的な感覚では説明できないものと言えるでしょう。



我々人間は、自分は人間であるという脳の認識の強烈な固定観念に縛られている状態です。
  

では人間の鎧を取りさり全てを感じることができるようになれば、どんな世界が見えるのでしょうか?

その”真実の世界”とはなんなのか?

人間の理解は超えていても確かにある真実・・・・

 

それは何かがある、実在するのではなく、なにも存在しない世界です。

人間世界は、存在しているように人間が思い、感じているだけです。

超常現象も含め全ては人間の脳の中でおこっていることであり実際にその事実があるわけではありません。

 

我々人間が実際にあると思っている世界は、人間ひとりひとりの脳が作りだした”存在している”と錯覚している世界です。

人間の錯覚の世界を作り出しているそのメカニズムは実にシンプルです。そしてその全てを産み出すメカニズム(仕組み)こそが人間が追求してやまないものです。

 

ある人は哲学から、物理や科学だったり、またある人は宗教だったり、、それぞれ様々な面からその答えを導き出そうとしているのです。

人間が考え、研究し学問をする意味、目的は、その”答え”を知りたいからなのです。芸術や音楽もそれと同じ目的であると言えます。

しかし人間や宇宙などについての研究までは解明できても、その宇宙や人間を産み出すメカニズムはもはや人間の理解を超えたものです。


文学を通して人間を超えた世界に近づいた作家として夏目漱石は興味深い言葉を残しています。

則天去私(そくてんきょし) 自己本位の考えを捨てて、自然の中において物事を見極めようとする姿勢。 

そして死後の世界を問われ

「死後の生活というようなことは深く考えていない。しかし、肉体はこのまま肉体の法則に従って亡びるだろうが、しかし、精神がそのまま一緒になくなるとは、どうも感情の上からも考えたくないね。といっても、何も心霊学者のように、霊がこの空中にふらついてうようよいると考えるのもどうかと思うが、とにかく死んだら、その瞬間から一切の自分が何もかも無くなると考えられようかね」

夏目漱石 ウィキペディア(Wikipedia)

 

夏目漱石をはじめ様々なそれぞれの道を追求した人間はその答えに近づきました。

死と生が近かった時代にはそのような世界に近づきやすかったとも言えます。戦国時代や自然と近かった古代の生活ではそのようなことを現代よりも身近に感じられたと言えるのです。

しかしながら漱石のように多くの人間が一生をかけて追求してもなお真実の答えを知るには至らなかったのです。

そのような人類の歴史上、答えを知っていた人物がキリストや釈迦といったまれな存在の人間たちでした。そして音楽の世界でもその答えに限りなく近づいた存在、人間がいました。


音楽は人間の心、作曲者の心を表しています。 演奏することはその作曲者の心に迫ることです。

そして楽器を演奏することは一朝一夕にはいきません。時には精神的な修行の世界になります。そのような苦しみのなかから生まれる音楽、演奏、それはまさに精神の世界に迫るものです。

人間的な成長を通じて一歩一歩答えに近づいてゆくのです。

 音楽に親しむということはより早くその世界に近づいていくことができますが、このことは音楽の世界だけにあてはまることではなく、悩み苦しみことを通して人間的な成長を求め止まなければ次第に近付いてゆくものです。

 

曹洞宗の宗祖道元は、「人は皆生まれながらにして仏性(ぶっしょう、仏としての性質)を持っているはずなのに、なぜ厳しい修行をしなければ悟りが得られないのか」という強い疑問を残しています。

 

ではどれだけの人間がその厳しい修行の果てにその答えにたどりつくことができるでしょう?

その前にどれだけの人が厳しい修行に身を投じることができるでしょうか?

 

自らを犠牲にして得た悟りをキリストは聖書という形にして教えを通して説こうと励みました。

それは人間本来の真実を広く全ての人が知ることに意味があったからです。

 

クラシックの世界でもピアノの魔術師と呼ばれたフランツ・リストは晩年僧籍に入りキリスト教に題材を求めた作品を多く残しています。バッハの平均律クラヴィーア曲集は”旧約聖書”、ベートーヴェンのソナタは”新約聖書”と、聖書になぞられてそう呼ばれます。

バッハやベートヴェンなどの作曲家はその真実の世界に限りなく近づき音楽の中にその思いを込めました。

     

そこまでして人間が追い求める”真実の答え”とはなんなのでしょうか?

そしてその答えを知り持ちながら生きることができれば自分の世界はどのような世界になるのでしょうか?

 

そして現在、到達した人間が様々なものにして伝えようとしたその答えを、人間が頭で、脳で理解することが可能な時代になりました。現代に生きる人間が誰でも共通に理解できる体系になったのです。

     

もはやそれは得体のしれないものではないのです。感覚やフィーリングではなくまずは理論から理解をすることです。

もうすでに五感を超えた世界を得とくし、またはその扉に少し手のかかっている状態のかたも多くいることでしょう。

なぜそれが可能なのか、なぜそれが見えるのか、なぜそれがわかるのか、説明することができるでしょうか?

人間の行動には全て理由と説明がつきます。

 

例えば特別な能力を持っている人間はフィーリングだけでは他人に説明することができず、教えることもできず、得体のしれないものとして崇拝の対象になったり、差別の対象になったりもするでしょう。

ピアノ調律で言えば、何も知らない人にわかりやすく説明するようなことが可能かどうかと言うことです。

ピアノ調律の世界もひと昔前は職人の世界として見て学べという世界でしたが、現在では学校もあるので理論から丁寧にわかりやすく説明してもらうことが可能です。

人間の5感を超えた世界も変わりはありません。

 

バッハやベートヴェンが音楽を通して伝えたかったもの。それを明確に知ることにより出発点からの音楽の理解が可能となるでしょう。

 

五感を超えた世界が真実の世界であるならば五感を通して得られるものは何を意味するのでしょうか?

音楽や絵画などの芸術、文学やスポーツ、人間が行う全ての活動は五感があることで成立します。

 

五感を通して行うものがただ単純に楽しみ、心を満たすだけのものであればあまり意味をなさなくなりますが、そのことを行うことによって悩み、苦しみ抜いた先には、少しずつ全てを受け入れる準備が整っていきます。

音楽をはじめこの世の全てのものは実は五感を超えるために準備されたものであるとも言えるのです。

 

人が悩み苦しみ抜いた先には何があるのか?

 

音楽で言えば、クラシックの世界はその作曲家の喜びや苦悩、人間への愛、宇宙、またある時はそれをも超えた世界を表現しています。全ては心の世界とつながります。

そのような音楽に触れることにより、その先の世界に近づいた作曲家の心を知るきっかけになります。更に深く追求することにより作曲家の魂をも超え真実の世界に近づきます。

 

これは音楽に限ったことではなく人間のする行動、日常生活のなかにも程度の差はあれ存在するでしょう。

そのなかでも音楽は人の心に直接働きかけます。

 

光を失い、もしくは脳の一部の機能が失われ言葉や文字が理解できなくとも耳や体を通してその振動は伝わります。

幅広く様々な人間の心をカバーし共通言語としての音楽の役割は、五感を通して五感を超えた真実の世界に近づくための大きな役割を担っています。

 

しかしながら音楽が真実に世界に近づくためにはその役割として大きなものがありますが、音楽、それ自体を通してその答えを知ることは困難であると考えられます。

それは音楽もまた世界に無数にある言語や思想、宗教と同様に多様な面を持っているからです。思想や宗教同様、伝えたいことは同様であるにも関わらず複雑に多様化し、その本質が見えづらくなっている面があるからです。

     

先に示した音楽ジャンルのように、音楽は様々な様式が存在しお互いが相容れないものも存在しています。これは分離・敵対を生む要因でもあります。特にこれまでの人間の音楽史上、最高のものとして認識されることが多いクラシック音楽の世界では、その完成度ゆえに他のジャンルの排除、差別化を最も顕著に現わしやすいものになっていると言えます。

 

クラシック音楽はそれだけ麻薬のように人々の心に入り込んで離れることができなくなる魅力があります。人はその権威にすがりたくなり、また自分が他とは違うということをはっきりと意識したい意味でもその世界に入り込んで行きます。 他人との区別をつけたい、特別に見られたい、違いをはっきりさせたいと思うことは人間としてごく普通の感情です。

それはそれこそが人間であるからです。 しかしその思いにとらわれたままでは先に進むことはできません。クラシックの本質は別のところにあるからです。

     

人は無意識のなかで本質を求めたいがゆえに、その思いを実現できると思う世界に入りその道を極めようとします。

そして他人との決別を通して悩み、苦しみ、その真実の答えに近づいていきます。

 

その苦しみの中でもがき、ほんとうにその答えを知りたくなったとき、その機会は訪れるでしょう。

自分が苦しみ求めていたものはいったい何だったのか?

 

私は音の世界を通してその答えにたどり着いたものとして、きっかけをここに記しました。

音楽を通してその真実の世界の入口の扉を、ひとりでも多くの人に開けて欲しい、そう願い日々生きているのです。

この五感を通してこの世に生きている私の役割として。

 


ピアノ調律師
  更家 雅之

 

      

 

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